昭和40年02月18日 月次祭
神様が、信じる者を信ずると仰る。神様に信じられる私共にならせて頂く。いよいよ信心の稽古をさせて頂かなければならんと思います。そこで第一に、皆さんがここに御縁を頂かれたら、私を信じて下さらなければならん。例えて申しますなら、只今お祭りが奉仕されました。月々4回、謝恩のお礼祭りが、皆さんの一生懸命の御礼心を取次がれてこうして奉仕される訳でございます。
その事を、私が時間で云うなら、3分か5分御神前にぬかずかせて頂いて、皆さんのお礼なりお願いなり、又はお詑びなり、神様にお届けをさせて頂きます。その間、私と神様との間に、交流しておるもの通うておるもの、はぁ、今こそ親先生の御信心を通して、私共の祈りや願いが聞き届けられておる時と、こう信じなければいけません。私が御神前に出ております時、ね、
本当に一瞬ではありましても、天地がなり治めて下さるような感じがございましょう。【 】神様は、私の願い私の思いをお聞きとり下さっておる一瞬なのでございます。ね、それを皆さんがお信じにならなければいけません。信心は信心でありますから、信ずる事からまず始まらなければなりません。今日丁度10時頃、最近、最近と申し上げても、もうここ10年にもなりましょうか、御無礼をしておりました方がある教会にお参りをしておる。
ところが、やはり椛目に初め、に御神縁を頂いておりましたもんですから、椛目の事が忘れられず、これじゃいかん、これじゃいかんと思いながら、敷居が高うなってお参りが出来なかったところへ次々と難儀な事が起こって来た。自分の身の上に、いろいろな心配事やら難儀な事が起こって来た。それで椛目にお参りさせて頂いて、お取次を願わしてもらいおかげを頂きたいと。
丁度一週間程のお参りでございました。どんなに医者にかかりましても一月二月良いかと思うと、ね、又もうそれこそあっちこっちのお医者を回りまして、〈あっちこっち回ってかけられるだけ〉かけて、そしてそれこそいよいよいけなくなってお参りして見えたのです。ですから、椛目も10年も離れておりますから、椛目の御理解なんかが頂けれるとは思いません。なぜってなかなかそれは見易う説いてはあります。
けれどもそのそこに流れるものは非常に深縁なもの。深いもの、難しいもの、ですから分かりませんけれども、それから毎日お参りして見えられます。今日ここにお参りして頂かれた時に、丁度そこで6、7名の方が今朝の御理解をテ-プで頂いておりました。その方が参って見えました時に私、お知らせ頂いたのが、『分からんでも御理解を頂きなさい』と言った。魂が清まるって頂きました。
皆さん、御理解を頂くと云う事はね、魂が清まる事なんです。それは分かっても分からなくてもそうなんです。なぜでしょう。これは、大坪総一郎の、只お話上手なお話であるとするならばです。ね、それは、そんな事はないでしょう。なぜって、私の話を聞いて目が開いたり足が立ったりしておるでしょう。あれはね、神様が私を通して教えて下さる御教えであり、云うなら神様のお心なのだからでございます。
皆さんがこうして御理解を頂いておられると云う事は、燦々(さんさん)とそのお恵みが、丁度潮の中にたっておるようにふり注がれて掛けられておるようなものでございます。だから云うならま眠りながらでもいいと云う事になりますですね。燦々と掛けられておる。分かっても分からなくてもね、御理解を頂くと云う事はね、お恵みの水をこう掛けられておるような実感をもって、皆さんが頂かして頂かなければならない。
分かりません、先生のおっしゃっておる事は難しい。けれどもです、あれがあのまま神様のお言葉であり御心であるとして頂かして頂く時にそれは魂の清まりとなり、病気なら病気が癒えるでしょう。難儀が一つ一つ解決のお蔭になっていくでしょう。有難いなぁ。ねぇ、それでも信じて聞かなかった人があるでしょう。ね、私が只今言うておる事を信じて下さらなければいけないのです。そこに信じられ信じなければおれないような働きをです、私の周囲に、周辺にです、皆さんの上にも見せて下さるのです。ね、
ああ先生の仰る通りだなね、次に御理解を分からんでも頂きなさいよと。貴方の病気が癒えます。貴方の心が魂が清まります。お話を頂いておるだけで。分からなくてももしそれがです、分からしてもらい行じさせて頂くと云う事になったら、その御理解の意味が段々分からして頂くようになり、その分からして頂いた事を日常生活の上に現していくようになったら、めぐりのお取り払いが頂けて徳が頂かれると頂きました。
いよいよ有難いでしょう。ね、人間のめぐり、家のめぐりと云うものがです、ね、段々影を潜めてまいります。所謂、神の気感にかのうた氏子としてのお蔭が段々頂けて来るようになる時です。ね、そのめぐりが消えていく、めぐりが取られていくと云うだけでなくて、お徳が頂けて来ると云うところが素晴らしい。このお徳こそあの世にも持ってゆかれ、この世にも残しておけれると云うもの。ね、
そこを楽しみに皆さんが信心をなさらなければならんのであり、そこを皆さんが信じて下さらなければならんのでこざいます。めぐりと云いお徳と云い、ならめぐりちゃどげなふうですか、お徳ちゃどげなもんですかと云うたところで、さそれが目に見えないのですから、疑えば限りがないのですから、そこのところを信じて下さらなければなりません。今日はまぁ大変云うなら難しい事を私が今から申そうと思います。ですけれども、分かっても分からんでも魂の清まりと思うて頂かなければいけません。
ね、神の願いを私共の願いとしてと云う事です。難しいでしょう。神様の願いを私共の願いとさせて頂くと云う事なのです。そこで皆さん、どうでも神様の願いを知らなければいけない訳です。神の願いを私共の願いとしていかなければ。ね、そこに神の願いが私共の願いとしての信心が出来て来るようになります時に、ね、どう云う事になるか、氏子の願いを神の願いとしてと云うような、大変な事になって来るのです。
どうでしょうね私共の願いが、神様の願いと云う事になって来たら、どう云う事になるでしょう。私共が億万長者になりたいと思うたら、神様が億万長者にして下さるでしょう。医者が目を離した病人が、この病気から助かりたい、健康になりたいと云う願いを持ったならば、それが不思議、奇跡と云うような働きの中に、健康なお蔭を頂くでしょう。なぜってこの神様は、ここに私共の願いと神様の願いが一つになる時。
そこには、私共の身の上にも、想像する事も出来ない程の、枯木に花の咲くようなおかげの頂けれる働きが、生まれて来るのです。これを只今お道では、あいよかけよと、云うております「親の事は子が願い、子の事は親が願い」とも云うておられます。一つの願い。そのような願いがです、神様の願いと一致しなければならない。ここに一致点を出していくところが難しいと思います。けいこです。ね、神の願いを私共の願いとさしてもらう、高度な信心に段々進んでいく。
昨日、福岡からある方がお参りになりました。正月に、いよいよここが、こうしてお蔭頂くようになりまして満15年になります。この10月には、その御礼の、記念のお祭りが奉仕される事になっております。ここで私、まだと云うので、お土地も購入させて頂こう、斎場も御造営のお蔭を頂こうと云う幹部の方達の話し合い。幹部の方達だけではありません。打って一丸としてそう云う願いに皆さんが燃えたっておられる訳でございます。ね、ですからその方もです、今年こそはと云う気持ちになられたのです。
今年こそは、私の事なん言うておられん。私のしておる、私のお蔭頂いておる持場に於て、職場に於て、大きなお蔭を頂かせてもろうて、それが神様にお喜びを頂けれるような、記念祭を目指しての御造営になり、又は、様々なお喜び頂けれるような、御用にでも使わせて頂かなければならんと発願された訳です。発願しなければいけません。願いを発しなければ、ね、ところが、もう本当に今迄ですね。
枯れておったような事柄がです、こう芽を出したように、もうぞっくりお蔭の芽が出たような感じだと云うて喜んでおられました。はー、先生、この調子でお参りしてまいりますなら今年はどう云うお蔭が受けられるか分かりませんと言うておられました。そう云う発願をした。生き生きとして、そう云う神様のお心に添いたい、そう云うお心に燃えた時です、神様は早速そう云う働きを受けて下さった訳でございます。ね、それこそお蔭の芽がぞっくり出た感じだと言うておられました。
その方がです、昨日お参りして見えてです、もうそれこそ意気消沈してお参りして見えられました。「先生、助けて下さい」って、言われるんです。「私、今どうして良いやら分かりません。最近、私、信心が崩れております。御無礼致しておりましたらです、今迄ぞっくり芽が出たと思うておった、その実が一つ一つ枯れてゆく。もう殆ど枯れかかってしまったと言う様な状態の中に現在私が御座います。
神様先生どう言う様な御神意な事で御座いましょうか」とこう言われるのです。私は申しました「まだ新しい、新しいていうか、椛目に御縁頂かれましてわずかばかりしかありませんから、そりゃそれもあっていいじゃないでしょうか。ね、例えば張り切ったゴムギュッタと申します。ね、ゴムがねシャンとこう張り切ったあとは、もう伸び縮み出来なくなってしまう様なもんでね、時には伸びたり縮んだりする事もいる事じゃないでしょうか。そして一事一事分からして頂いて、本当の事にならして頂くのですよ」ね。
確かに神様の願いを自分の願いにされようとなさった訳なんですね。ね、自分の事をぬきにして神様を中心に申し上げる、どうぞ神様がお喜び下さる。成程神様がいきり立つように生き生きとして勢いを見せて下さったのが、それも束の間に枯れかかってきたとこう云う。ね、ここん所が中々難しい。先日この前のお月次祭ですが、10日のお月次祭の夜でございます。皆さんが帰られましてから、14、5人の方が残ってから後の掃除をなさいます。残り14、5人ここへ入ってからお茶を頂いております時でした。
その中の一人、そりゃ難儀な問題を持っておられる方が、まぁ信者?だけれど意気消沈しておられました。そこであのこっち座っておる正義さんです、久冨正義さんが話されるんです。「〇〇さん元気を出しなさいませ、て。おかげ頂きますが」と言うて、自分の信心を話しておられるのでございます。「私も実はこう云う難儀な問題を持っております。もうここ5・6年越しにその事を思い続け祈り続けております。
難儀な問題なのです。ここに私の願いがかなえられたらば、本当におかげが頂かれるだろうと思うのですけれどもおかげが頂けません。その事を神様に朝晩願わしてもらう時、その時祈るのでございますけれども祈らせて頂いておる時に私、こういうふうに感じます。神様私がこの難儀な問題をもっておると言う事がです、私がこの難儀な問題の中にあると言う事がです、神様の御心であるならば神様の御神意であるならばです。ね。
それは1年は2年でも待たせて頂きますとこう申し上げると、神様がねもうそれこそ大変な喜びを見せて下さるかのようにオイサミをもってお答え下さると言う事でございます。現在でも、難儀な問題から抜け出たいと思いますけれども、そりゃ痛ければ痒ければそう思う。お互いがそれが願いになってくるのです。けれどもこれが御神意でありますならば、神様の御心でございますならば、1年は2年でも待たせて頂きますというて。(笑)ここは、どういう状況、心境だと皆さんは思われますか。
自分の思いを、もう捨て切った姿なのです。私は信心させて頂いて、一番有り難いのはここだと思うのです。ね、自分の思いを捨てなければいけません。それを我情我欲をはなれてとおっしゃる。その我情をこれははなれた姿でございます。自分の思いをはなれた。ね、そして、この難儀な問題を支えておると云う事が、神様の御都合であるならば、御神意であるならば、1年は2年でも待たせて頂きますと、この思いを投げ捨てた時にです、神様が本当にお喜びで受けて下さる。
そして、その次に願わして頂く事を一つ一つ、一つ一つ合点して下さるかのようにオイサミをもってお答え下さるのですよ。○○さん私はそれを聞かせて頂いて、本当に有り難いと思った。この人の信心が私立派な信心とは思いませんけれども、はあこれだから私は放っといておいてもよいなぁと、こう安心が出来るので御座います。ね、是だから私が放っといていいんだ、この人の信心はとこう思います。どうでしょう皆さん、様からね、例え日参・夜参りされましてもです。
様々な御用が出来ましてもです、ね、根本的な所に神様の気感にかなわないものがあるならば、本当にけなげな事だ、可愛そうな事だとお思いになられましても、それは丁度痒い所の横をかいておるようなもので、神様は決してお喜びにはなりません。ね、おしいなぁ毎日お参りさせて頂いて、毎日御理解を頂いて信心の稽古をさせて頂いておるのに【根本のところを間違えておる。お参りする、なら例えば、正義さんで云うなら、お月次祭だけぐらいしかお参りはしてこんけれども、ね、
この人は言うておる事思うておる事、神様に打ち向こうておるその心その事が、狂いのないところにおるからこの放っておいてもいい。たとえ、例えばそれが難儀でありましても。それが例えば乱れましても、一番肝心要のところが乱れていないから親が安心しておられるようなもの、いやあの人は間違いなかがのとこう云うておられるのじゃないでしょうか、ね。そこのところを頂いていかなきゃいけんのですよ。
それを信心でお道の信心の言葉をもってすると、実意丁寧神信心と申します。私が只今思うております事、今私が行うております事、これが果たして御神意にかなうことであろうか。御神意にかなうことではないか。あるかないかと云う事を確かめながら、私は日常生活をさせて頂くと云う事が実意丁寧な信心生活ではないかと、こう思うのです。私、先程から『吟醸』と云うことを心眼に字で頂くんですね。吟とは口を書いて今と言う字を書く。醸と云うのは醸し(かも)と書いてある。
これはお酒を造ると云う事なんです。吟醸する。それをしきりに頂いておりますところに、私が先程、神饌室を覗きます時にまだお三宝何本もあいておりました。一番最後に、あの真ん中に一菊と云うお酒のお供えがきとりますが、あれが私の目の前を通る時に、云わば何々酒造と書いてある。何々酒造吟醸と書いてある。ははあ、これは一菊、一菊と云うのは今からの信心の事でしょうね。それが醸造される。醸される。ね、
そこで私は感じるのでございます。吟醸の吟と云う字は口が今と書いてある。ね、今私が口で言うておる事がです、今私が言うておる事、私が思うておる事が、私が行うておる事が神様の心にかなうのであろうか、御神意にかなうであろうかと、吟味させて頂く心、そう云う生き方を実意丁寧だと私は思います。そうでしょう。ね、その実意丁寧をもって神様へ向かう心を私、実意丁寧神信心だとこう思うのでございます。ね、
実意丁寧神信心、本当に、耳にタコが出来るように皆さんに聞いておられます。それは只今申しますような事からなんです。ね、そこで教えを頂いておらなければです、今言うておる事が、思うておる事が、行うておる事が本当やら本当でないやらは分からんのでございます。教えを頂いておりませんと。ね、話がもどりますけれども、先程の、福岡の方の話じゃないですけれどもね、
そう云う神様のお喜び下さるような事に発心した、ね、ところが、これがお蔭の芽であろうかと云うような、神様の働きを見せて下さるかのように、ぞっくりあの事もこの事も芽がでだしたような感じがあった。ところがそれが、次第に一つ枯れ二つ枯れしてほとんど枯れた状態の中に現在あるとこう言われる。だから、そう云う例えば、神様の喜んで頂くと云ったような事でもです。
これなら間違いなしに喜んで下さると云う事でもです。ね、只今申しますように、実意丁寧神信心がかげたらいけないと云う事が分かります。そう云う願いをたてましたなら、ね、これに向かって進まなければいかんのです。これに向かって進む。ね、そう云う願いをしたのでこざいますから、ね、せめてこの事ぐらいは改まらなければいかんのでございます。ね、せめてそう云う願いをしたのでございますから、ね、
そこに例えどのような修業でもです、自然に神様が求めたもうような成り行きの中に起きてくる修業ならばです、それを元気な心で受ていこうとする信心の姿勢が必要なのでございます。ね、願うた事は素晴らしい事だと、しかも生き生きとした心で思うた。思うたら神様がはっきり教えて下さる。この身を育てるものは、その後の実意丁寧な信心だと云う事になる訳なんですね。
そこでです、先程、正義さんの例を申しました。ね、どんな難儀な問題でもです、その難儀な問題が、自分が求めてするのじゃない、神様が自然の中にそう云う難儀な問題をもたせておって下さる事が、それが御心であるならば御神意であるならば、1年は2年でも待たせて頂きますと、我情を捨てたその姿、その心をもって次に我欲を捨ててゆくところの修業がなされなければいけないと。
例えば、なら正義さんが願うておられる事がです、ね、正義さんが願い通りにお蔭を下さろうとしておるかも知れませんですよ。ね、1にも待つ事2にも待つ事はいらんと思いなさるかも知れませんよ。ところが、そこに修業不足なり改まり不足なり、そう云うような事柄がもし2年が3年、3年が5年と云う、長引いておるとするならば、これが又、問題となるでしょう、ね。我情をとったその姿は素晴らしい。
だからその為には、次の、私は信心がなされなければならんのじゃないかと、所謂、我欲を捨てたところの信心がなされていかなければならんのじゃないかと。ね、皆さんが、さまざまな立場にたっておられます。先日の、昨日一昨日の朝の御理解でした。「呉越同舟」と云う言葉がございます。あの前に頂いたのが・・?呉越同舟と頂いたときに前に頂いたのが、「呉佐和楽」と、これは漢字で頂いた。
呉と云うのは呉越の呉です。呉れと云う字、佐と云うのは人偏に左、ね、和は和らぐの和、平和の和、楽は楽しいの楽と言う字、どう云うことだろうかと私思わせて頂いたら「呉越同舟」ということを頂いた。「呉越同舟」と云うのは、支那に呉と越と云う国があった。いつも争いが絶えなかった。その争いが絶えなかった人達が、同じ舟に乗り合わせたと云う訳なんです。
皆さんの場合です、争うておられると云う訳ではないのですけれどもそれぞれの顔が違うように性格も又違うのでございます。ここで先生方を例えば申しましてもそうなのです。ね、久保山先生と秋永先生と云うたら本当に違います。ね、それが同じお徳の船に椛目と云う、いわばお広前の船に皆んなが乗らせていただいておると云う事。呉と云うのは、私ここでお蔭を頂くと云う事だと思うたですね。佐と云うのは椛目的信心だと思いましたですね。人偏に左と書く、御結界は左にあるでしょう。
こりゃいつもこの佐の字を下さる時には、椛目的ととこう仰る。椛目的な信心が皆さん本当に身に付けなければです、これは私の流儀じゃけん、どう云う性格の違った人でもそりゃ久保山先生であろうが秋永先生であろうが久冨正義さんであろうがです。やはり椛目の信心、椛目の流儀、ね、あれは新約聖書に出ておる何とかと云うキリストのお弟子さんが云うておる言葉がありますですね。
私は葡萄の木だ、と言っとります。私は葡萄の木、私の父は百姓だとこう云う。ね、私の父と云うことは、天にまします親神様と云う意味でしょうね。私は葡萄の木だ、と仰る。私は葡萄の木だ。ね、だから私と同じ木になればです、私と同じ心になればです、同じ葡萄がなるのだと云う意味の事を云っております。ここでも同じ事が言えると思いますね。私が柿の木ならばです、皆さんがその一枝にあると云う事なんです。
為には、私と同じ信心がなされなければならない。上になる柿もあるでしょう、下になる柿もあるでしょう。けれど、も同じ柿の実がなるようなものだと云う事なんです。そのどこでも、椛目の信心のひとつの、御流儀と云うものを体得しなければなりません。ね、天地の親神様が「どうぞ氏子 信心しておかげを受けてくれよ」と、ね、教祖の神様は「この方が伝えた事をたがわず人に伝えてゆく、それが神になるのぞ」と、「この方ばかりが生神ではない。
皆んなもこのようなお蔭が受けられる」金光大神が伝えたことを、やはり自分の、金光大神の云われたことを、私共のところに頂いていかねばなりませんようにです、それは大 中 小の差こそあれ、やはりここでは大坪総一郎の云うたことを、皆さんが頂いて見せなければいけないと云うこと。教祖の神様もです、天地の親神様もです、どうぞ氏子信心してお蔭を受けてくれよ、この方ばかりが生神ではない。
皆んなもこのようにおかげを受けてくれよ。大坪総一郎だけではない。私が現在頂いておる、云わばそれは小さい手本のようなものではありましょうけれども、ね、私が頂いておるところの心の上に頂いておるお蔭、形の上に頂いておるお蔭、これが天衣無縫と云うのであろうか、無尽蔵なお蔭と云うのであろうか、必要な物は必要に応じて頂けておれるようなお蔭を私が頂いておる。
そのお蔭を皆さんの一人一人にもです、頂いてほしいなぁ、そう云う難儀な状態の中でも、私の頂いておるような心の状態になられたら、どんなに皆さんが楽になるだろうかと思うから、お蔭を受けて下さいよとこれを、だから天地の親神様の願いがそのまま大坪総一郎の願いと云うことにもなる訳なんです。それには、だから私が今申しております、椛目流儀にならなければいけないと云う事。
そしてです、例えば私が日本一の旗をおし立てて、私が桃太郎さんといたしましょうか、いつかそんな御理解を頂いた。久保山先生がキジ、秋永先生がお猿さん、久冨正義さんが犬だと云う(笑)段々よく見よってご覧なさい、キジやら猿やら犬やら似てるじゃないですか、顔が性格がやっぱりそうなんですよ。ね、一ぺん仮装行列ども、一人私が桃太郎さんになってから【 】ほんなもんじゃなかろうかと云うごたある。ね、私が日本一と云うのじゃないですよ。ね、
日本一の旗をおし立てて鬼征伐にやらして頂く。貴方も来なさい、貴方も来なさいと云うても、誰もついちゃ来やしません。一つ下さいきび団子。そのきび団子を頂くと云う事はです、いわば呉れと云う事なんです。呉なんです。だから私はきび団子を上げましたから、その変わりに私が行く所へおいでなさいよと云うてから、今連れてきておる訳なんです。それはどこかと、鬼ヶ島であり、それは鬼征伐なのである
鬼ヶ島とは、私の心の中である。鬼は私の心の中にあるところの、我が心の鬼だとおっしゃる教祖の神様は。ね、我が心の鬼を征伐にやらして頂かなきゃならん。ね、そんならば、鬼の征伐にいくと云うことはです、久保山先生は、秋永先生は、久冨正義さんはです、それぞれの持場立場においてお蔭が受けられると云う事なのです。秋永先生は京染めと云う、京呉服と云う呉服屋をなさっておられる。
久冨さんは久冨建設と云う、大きな事業をなさっておられる。ね、その事業となるものが、その商売そのものが、久保山先生はここで御用頂いておる。その御用そのものが実意丁寧を極めていかなければならないと云う事なのです。今私が言うておる事が、思うておる事が、行うておる事が実意丁寧であるか、神の心にかなうか、かなわないかと云うそこん所を確かめさせて頂いて、ね、
鬼征伐のお供をさせて頂くと云う、そのことは必ずしも神の願いと云うのは、お参りしてこいよ、と、お供えをしてくれよと、そんな事じゃないと云うこと。お百姓はお百姓をさせて頂きながら、商売人は商売をさせて頂きながら、ね、職人は職人としてのお蔭を頂きながらです、ビジネスマンはビジネスマンとしての働きをさせて頂きながらです、その場その立場において、真の信心を身につけていくと云う事がです、そのままそれは神の願いなのでございます。
神の願いと云う事が、段々分かって来たでしょう。神の願いね、そう云うような事が、完璧を期していく為の信心修業にさっきから申しました徳の修行がいるのでございます。神の気感にかなうと云う事はね、神の願いを願いとすると云う事はこう云う事をしなければ、神様の御心がかなわんと云うのではない。お互い現在の持場立場にあってです、神の心に叶う、いや神の願いが成就していくところの、神の願いが成就していくところの、神の願いを願いとしての生活、そう云う生活が、信心生活であり、
そう云う生活が、神の願いの中に生きておる私共であると云う事になるのです。ね、そう云う信心が段々なされてゆく時です。どうでしょう今度は神様が、ね、氏子の願いは願いとしての、と云うような事になってくる時に、その事業がその商売が繁盛しないはずはないと云う事になってくる。ね、私は今日大変難しいことを申しました。そこのところのために、そこのところに焦点をおいて、難しい事と言わずにです。
例えばです、ね、家を建てると云う大工さんがです、私はもうあげな家を一人で建てきるごとなるじゃろうか、そう思うて弟子入りしなかったらいつまでたっても建てらりゃしません。【 】ないことがです、ね、ノミの持ち方、カンナのかけ方一つ一つを体得させてもろうて、そして5年なら5年の、そりゃ【 】修業がございましょう。けれどもこれは自分の【 】そう云う例えば、神の願いを願いとさせて頂けれるような信心にです。
私共の願いをここにおいて、それに向かって稽古させて頂くと云う事。そのときに、神様の働きがです、あいよかけよの働きと云うのがです、ね、私共が一生懸命神の願いを願いとしてと云う事をもって、お蔭を頂いていく、それが垢抜けしてゆくに従って、氏子の願いを神の願いとしてと云うようなお蔭になってくる訳なのです。【 】『神に使われ、神を使え』と頂きました。まず神につかわれなければいけません。ね、それは、お広前で御用をさせて頂くと云う事だけではなくて神に使われ、
例えば久冨繁雄さんがです、ゴボウを作るならゴボウ作りに、白菜を作るなら白菜作りにです、久冨繁雄さんのではない。神様の御用としてそれが純粋なものになっていくときにです、もう久富繁男さんは神様に使われておられると言うことになるのです。形においては一つも変わりません。内容なんです。だからそこのところが、稽古をしなければ出来んと云うのです。ね、丁度その日でした。
古賀先生のお母さんが、あるお届けに見えられてから、ひょこっと言われるんです。「先生、あちらは飯塚教会の御信者である。」先生相手に修業して、あちらで教師の資格まで取って、そして大久保先生のお許しを頂いて、ここに修業に来ておるのですから、飯塚の親先生みんな、云わば古賀先生の親先生ではあるのですけれども、本当に、その前の日でしたか、あちらの開教記念式にお蔭を頂いて帰られて、所謂、本当に昔の面影が段々少なくなっていくと云う事を、淋しいと思われた。
本当に、うちの親先生がが若い時には、大変な修業をなさっておられたけれども、死んだ子供を抱いて、抱えてくる。神様が親先生がお取次なさる。御祈念なさると、その死んだ子供が生きかえると云うような、奇跡が次々と現れたと云う事です。その時代に頂かれた御教えの中に、ね、『神は取次を自由にし、と仰る。神は取次を自由にし、取次は神を自由にし、これがあいよかけよぞと、楽しいことぞ』とこう、楽しい事じゃと、神様がおっしゃったそうです。すばらしい事でしょうが。ね、
神様がです、取次を自由自在にお使いになる。そのかわり、この取次の云う為にです、神様が自由自在に働いて下さる。もう神様が、あれが言うた事じゃけん、楽しゅうてこたえんごと働いて下さる。だから私共もです、神様のおっしゃって下さる事の中には、もう楽しゅうてこたえんと云うような、踊るような気持ちで御用させて頂くんです。ね、それがあいよかけよぞと。楽しい事ではないかと、こう言うておられます。
信心とは、そう云うような楽しい境地を開かせて頂くのでございますから、そう云う境地を目指して、そう云う信心を目指しての信心じゃなからなければならんと云う事。ね、そこにお道の信心でなからなければならない。お道の信心でなからなければ、助かる事が出来ないと云う理由もあるのでございます。只、金光様の信心を頂いておるからいばっとる、ちゅう訳にはいきません。そう云う信心を自分のものに体得させて頂いて、初めてお道の信心のすばらしさが分かるのでございます。
ね、どうぞ、今日私が難しい大変難しい事を申しましたけれどもです、ね、例えば、弟子入りをするような気持ちで、そこに焦点をおいて信心修業がなされ、言うておる事が、行うておる事が、ね、只今思うておる事が神様の心にかなうであろうかと云うような思いの元に日常生活をさせて頂けるということがです、そのまま実意丁寧神信心であると云う事を申しました。そこから醸(かも)されるもの、そこから醸造されるもの、吟醸されるもの、それは有難喜勿体な喜、恐れ多喜である事はもちろんでございます。
おかげを頂きました。